Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.11)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 十一 回 *****

独立記念日、人種の坩堝、一寸悔しい話

11 de Octubre 1998

 8月に南米ぺルーやメキシコを旅行したこともあり、すっかりご無沙汰してしまいました。90日経過すると在留許可の期限がきれます。この時グアテマラシティの移民局へ出かけて延長の申請をするか、一度出国し他国で72時間以上滞在し再入国すると再び90日の許可が出ます〔滞在日数延長の手続きは一度の入国につき一度だけ申請できます。また出国後の再入国はその日のうちにできるという話もあります〕。この度は後者の方を取ったのですが、当初はアルゼンチン・ペルーの旅行を計画したもののこちらで購入する航空券が予想以上に高額の為、熱望していたアルゼンチン行きは割愛せざるを得ませんでした。それでも訪れた両国での貴重で楽しい旅を無事に終え又アンティグアでの留学生活を続けています。
 二年目の滞在も7ヶ以上が過ぎましたが、旅で二週間お休みした以外は、元気で一日も休むこと無く毎日学校に通っております。勉強の成果は、報われない牛歩の歩みではありますが家でも真面目に予習復習しております。来年一月下旬に帰国を予定しておりますが、残り4ヶ月足らずになったここでのスペイン語学習に目途をつけて無事に帰国したいと念願致しております。ここに参りました当初三カ月位ファミリアでの下宿生活の後、アパートに移るつもりでいましたが、いつでもその都度そこでの生活に傾応してしまう方で、場所は変わったものの同じ下宿の生活を続けて来ました。ラミロ氏のお宅でも一年以上お世話になったのですが、8月に旅行に出かけたのを機会にアパート生活に変わりました。生活費も高額になります。外国人学生向けのアパートとしてはアンティグアでは最高ランクで一寸賛沢なのですが思い切って新鮮な生活に入りました。新築のアパートで二部屋の共同使用なのですが椅子・ソファが準備されケーブルテレビ・オーディオ付の明るい広いリビングと冷蔵庫・什器・食器一切が用意された広いダイニングキッチンがあリトイレ浴室付の10畳位の部屋で、向かいの部屋が空いていたり、短期滞在の住人がいてもあまり部屋に居なかったりで、一人で悠々と満足して暮らしております。自分でも毎日掃除するのですが週に二回お手伝いさんが奇麗にしてくれます。今迄満たされなかった食生活も特技の炊事の腕を十分に発揮し毎回好きなものを作ってお腹一杯食べております。
 主にパン食ですが美味しいカリフォルニア米や、まあまあのこちらのお米も用意し週に一日か二日はど飯にしております。何と言っても食材が安いので思っていた程食費はかからない様です。週に一回リュックを背負ってメルカド(市場)に買い出しに行き、後は週に二回程洗濯屋に行った時に気がついた物を補充することで間に合いますので特に大変と言うことはありません。
 軌道に乗りました新生活日程をご披露いたします。こんな具合に帰国の日迄続けられるものと思います。通常朝は1、2時間勉強することが多いのですが行動は6時からスタートします。トイレ・入浴・髭剃りを6:30迄に終え、6:35から朝食準備、7:00に朝食、7:15から後片付け、7:20~7:30掃除、7:35登校し、8:00~12:00まで学校で4時間の勉強の後、 12:40から昼食を準備、13:00に昼食、午後は休憩の後用足しか勉強で過ごし18:30からは夕食の用意、 19:00夕食、後片付けをしてテレビ鑑賞後勉強です(今迄自分の液晶小型テレビではグアテマラの2チャンネルしか見られませんでしたが、今は沢山のチャンネルが見られますので、あっと言う間に2時間位過ぎてしまいます。従ってテレビは30分で我慢することにしていますが、スペイン語の勉強になるからと自分に納得させて続けて見ることもあります)。全てが自由て気ままな生活ですので就寝も9時から10時が大半ですが、朝3時から勉強を始めた日は8時前に就寝する日もあります。健康の事を第一に考え、決して無理をせずに暮らしております。自分の事ばかり長々と書いてしまいましたが今年の日本は天候が不順だったとか伺っております。しかし皆様におかれましてはお変わりなくお健やかにご活躍のことと拝察致します。遠隔の地に居りますだけに打に触れ皆様のお顔を思い出したり、仕事て頑張っているご様子を想像したりしております。当地グアテマラも今年は去年と比べ雨が多く雨季の終りももう少しと云うところですが、出かける時は必ず傘を持参しております。そうした時期ですので旅行者や勉強に来ている人達も少なく、町を歩いても日本人はあまり見かけません。ただし当地での滞在が長いだけに街頭で顔見知りの人からよく声がかかります。すっかりアンティグアの生活に馴染んだ生活をしているわけです。
 だいぶ間が空いてしまいましたが今回は「独立記念日」、「人種の坩堝」というタイトルでお知らせしたいと存じます。


<<独立記念日>>

 先月9月15日がその日でしたが去年それについてお知らせする機会が有りませんでしたのでお話したいと思います。このところ中央公園での週末の賑わいは今一つでしたので行事等についてもあまり期待はしていませんでした。しかしよくもこんなに集まったものと驚かされる程の近郷・近在からの人達も含めた人数がその前日の午後から祝賀の集いに姿を見せました。皆が好きな花火が朝から打ち上げられ、午後からは各校の高校生達のバンドが次々と街頭を行進しました。日本でしたらブラスバンドとか鼓笛隊というところでしょうが、ここではメロディを奏でるリラ(金属の竪琴)を持った何人かのほかは、全て大太鼓と小太鼓の編成です。観衆の腹の底まで響く沢山の大太鼓、小太鼓を奏するバンドが後から後から通りますのでなかなかの見ものでした。市庁舎と中央公園の国旗掲揚台の周りにお偉方を含めた人達が集まり、兵士の演ずる儀式の後、軍楽隊や警察音楽隊の国歌を奏する中、午後6時に国旗が掲揚され皆が胸に手を当てて見上げる荘厳な儀式もありました。首都グアテマラシティのほか、主な都市・町村では同じ行事が挙行されます。その他暗くなる前から交代要員が乗り込んだバスやトラック・マイクロバス等が随行する、トーチをかかげた生徒たちの一群が観衆の拍手を浴びながら次々に到着し公園を一周して走り去って行きます。この生徒たちは近くの町村から祝賀の意を表しに来たものと思われます。翌日の記念日も同じような幾つかの行事があり、午後6時に国旗が下ろされ大体の祝典が終りになります。花火と言い楽隊と言いオリンピック聖火の様なランナーの一群もラテン人達の派手な、お祭り好きをよく表わしていて楽しい祝賀の日でした。グアテマラ共和国は1821年9月15日に当時国力の弱まったスペインの支配から脱し独立を宣言しました。その後メキシコのアウグスティン・イトゥルビデ帝国の併合、中米諸州連合結成による中米運邦共和国編入等幾つかの紆余曲折があった後、1847年に現在のグアテマラ共和国として発足しました。しかしその端緒となったスペイン支配から脱して独立を宣言した日が最も記念する日になるわけです。中米のいくつかの国・エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ等も連邦共和国当時の同じ仲間ですので独立記念日は9月15日になります。長い植民地時代から独立を克ち取ったものの軍事独裁政権が続き、又長い内戦による政情不安や国内経済の不安定に苦しめられただけに今日平和の中で迎える独立記念日は国民にとって感慨深く喜ばしい日と言えましょう。グアテマラ人は三人の母を持っていると言います。一人は聖母マリアであり、一人は自分を生んでくれた実の母であり、もう一人は祖国グアテマラだと言います。どの国の人達も祖国を愛する心を持っていることが日本を離れているとよく感じさせられます。日本では愛国という言葉がすっかり忌み嫌われてしまった感さえありますが、他所の国でそこの独立記念日を迎えるにあたりもう一度思い直す必要を考えさせられました。


<<人種の坩堝>>

 グァテマラの現在の人回は約1100万人弱で、内マヤ系を含む先住民が50%、先住民と白人との混血でメスティソあるいはレディーノと呼ばれる人達が42%、欧州系白人8%で、先住民のなかにはガリフナと呼ばれるカリブ海沿岸にとアジア系人種で構成されています。我々日本人も幾っかのノ、種の混血には違い有りませんが何千年もの或いはそれ以上の長い年月をかけての混血ですので日本人という単一の民族と考えて良いと思います。それても地方により顔の長めの髭の濃い人達を多く見かけたり、私のようにギョロ目の人間や、髪の縮れた人もいますが特に極端に目だった違いはあまり見当たりません。ところがこの地での混血はたかが400~500年位前からの混血ですので、まだよく混ざり合っていないということが言えるようです。銅と亜鉛を坩堝の中で溶かし合わせる過程で真鎌に未だほど遠い状態で、黄色の中に銀色のすじがいくつも見られるのが現在のメスティソについて言えると思います。女性について言えば、伝統の民族衣装を着用し、見た目にも先住民のインディヘナとして見分けられる人もいますが、顔つき・骨格はインディヘナでもいわゆる洋服を着ている人は果たしてどちらの方に属しているのか考えさせられてしまいます。先住民50%は必ずしも正確なものではないでしょう。生活環境、家庭環境で分けられているような気がします。メスティソについても白人に近い顔つき・体格・肌の色の人がいる反面、顔つきは白人に近くても骨格・肌の色がどちらかと言えば先住民に近い人がいたりして色々です。私は始どの日曜日に近くの教会のミサに出席しますが、聖壇で聖体拝領を受けて席に戻ってくる人達の顔を見て、いつもこの"人種の坩堝"という言葉を思い出します。何人かの白人もいますが大半はインディヘナとメスティソですので、すべてが千差万別だからです。大変興味深く人類の発展の過程と中南米の歴史を目の前に見た思いがします。私は帰国後、あまり間を置かずにスペインでの学習を計画しています。ザ|千初中南米を知て〕ことができて本当に良かったと思いました。今回は大変お固い話題に終始してしまいましたが、それにしても当時のスペイン人の男達は少ない人数でよく頑張ったな! メキシコ、中南米に沢山の子種をばら撒いたんだから!


<<一寸悔しい話>>

 前々から念願していましたグアテマラの国島、ケツアルを見にここから車で3時間程のコバンに行きコバンの街を見学した後、少し戻ってケツアルの保護区、ビオトポの民宿に宿泊しました。民宿とはいえコテージ風の気のきいた部屋に満足して泊まり、朝5時から朝食を挟んで9時まで、口を開け、首筋が長くなる程高い木々の梢を見ながらケツアルを待ちましたが現れませんでした。その後保護区内を散策し戻って参りました。私が予約してあげた民宿に二週間後に泊まった大使館の広美さんは民宿の庭で二回も見られたそうです。ただ帰り道に国花であるモンハブランカを見ることができたのが救いでした。

 日々の勉強や雑用に追われなかなか時間が取れませんが、帰国までにあと1~2回このレポートをお送りしたいと思っております。拙文でご退屈でしょうがおつき合い下さい。
 皆様のご健康とご活躍をお祈りいたします。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓