Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.10)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 十 回 *****

グアテマラの楽器マリンバ、恋の街アンティグア

6 de Junio 1998

 去年の6月2日からこのラミロ氏宅にお世話になりましたので、この家で一年が経過したことになります。その日の夕食時には大きな薔薇の花束とスペインのワインをご夫妻にお渡しし、改めて感謝の意を表した次第です。最初の家は一週間、次の家は28日、三度目は56日、部屋が暗かったり、水の出が悪かったり、同宿者が盗難にあったりしたことが家を替えた原因ですが、四度目にしてやっと居心地の良い家に巡り会えたことに感謝しながら毎日を送っております。
 先月の下旬から雨季に入ったらしく毎日「几帳面に雨が降っています。こうした表現をいたしますのも、朝抜ける様な青空であっても午後または夜には必ずと言ってよいくらい雨が降るからです。しかし日本の梅雨時と違い一寸の間で、長くても30分か一時間ですのであまり苦にならず良いお湿りと言えます。何か月も雨が無かったわけですから植物の成育や水事情にはおおいにプラスになっています。また先月20日に噴火したパカヤ火山の降灰で、大分目が鬱陶しい思いをしたのですがそれも解消しました。しかし今まであまり気づかなかったのですが、町並を彩っている花々が幾分少なくなったようで少し寂しい気がします。去年の今頃もそうだったのですがスペイン語学校で学ぶ人の数が少なくなり、旅行業を離れた今の私には関係ありませんが観光客も減ってきたようで、今一つ気分が冴えません。やはりこの街は太陽が一杯で、花や緑が溢れ、若い人や観光客が沢山いる方が似合います。私のスペイン語学習も遅々として向上しませんが、それでも少しづつは前進しておりますので、ここは忍の一字、雨季明けを待ち、耐え忍びたいと思います。
 二三日前ですが気晴らしに散歩に出た公園を挟んで片方は警察の吹奏楽隊、向かい合った市庁舎まえにマリンバの楽団が演奏をしておりました。威勢の良い軍楽隊もいいのですが、人々はやはりマリンバのところに群がっていました。私もお休みに入る前の三曲程聞かしてもらいました。マリンバの音色は何時聞いても心が和むというか優しいものです。そこで、以前からお話しようと思いながら果たせなかったマリンバのことと、恋の街アンティグアと題して、男と女の話をさせていただきたいと思います。


<<グアテマラの楽器マリンバ>>

 第七回にグァテマラ共和国の象歓・国歌、国旗と紋章、国花、国木、国鳥についてご案内させていただいた時もう一つ加えたかったのが、この国の象徴ともいえる国の楽器マリンバてした。今回はそのマリンバについて余りご存じ無い方もいらっしゃると思いますのでお話させていただきます。中南米何処ででも聞かれるのですが、一応場所別に分類するとなれば、メキシコはマリアッチ、アンデスは伝統音楽フォルクローレ、アルゼンチンはタンゴが有名で、ここグアテマラはマリンバ演奏による音楽いうことになります。前者は余りにも有名で皆様もよくご存じのことと思いますが、マリンバについては何となくという程度かも知れませんので最初からお話いたします。
 木琴とかビィブラホーンの元祖と言ってもいいかも知れませんが、その発生についてはいくつかの説があるようです。アフリカの打楽器から端を発し、ラテンアメリカで発展改良されたという説とコロンブス以前からラテンアメリカに祖型があり(インディヘナが持っていたという説:私のマルセロ先生等はそう言う)それが進歩したという二つに大別されるようです。現在はアフリカからの移入説が認識されているようですが、インディヘナ説は現在のマリンバの材料にこの地の物が使われていることにもよるようです(音盤には赤蟻も歯がたたない固い木が使われている)。また木琴は余韻が短いので共鳴管として瓢箪が音盤の下に使われていたのですが現在は作業が容易な糸杉や松等が似たような形で作られ装置されています。
 発生についてはこの位にして、現在使用されているマリンバは我々が知っている木琴や鉄琴と違う点はその大きさにもあるかも知れません。昔、昭和天皇に似た平岡養一という木琴奏者がいてその巧妙な演秦ぶりに驚嘆させられたものですが、彼の様に単独での演奏とは異なリーつのマリンバを数人で演秦します。通常の楽団の編戊は大きなマリンバに5人、小さいほうに3人がつきます。その他にベース1、トラム1、トランペット等の吹奏楽器2~4にギター等の弦楽器がつくこともあります。マリンバの音盤の短い方の高音部の奏者1~2名が旋律を担当し、他の者が伴奏をするようです。5人の奏者が並んで夫々三本の打器を使って合奏するわけですからよく間違わないものと感心してしまいます。私の通う教会でも子供達が二台のマリンバを使って賛美歌の伴奏をしていますが、そうしたアマチュアは別としてこのアンティグア市にもプロの楽団が10以上も活動しています。グアテマラ国内にはどこの市も街も村にも楽団がいますのでその総数は計り知れません。ローマ法王は過去三回グァテマラにお越しになられたようですが、三年前の時はグァテマラ空港に20台以上のマリンバがお出迎えの演奏をし、その演奏を聞かれた法王が感激の余り両頬を濡らされたとかの逸話もあるようです。
 日本では手に入らないマリンバのCDやカセットテープはこの地での最良のお土産と私は思っております。


<<恋の街アンティグァ>>

 私の一日は4時頃起床して勉強することから始まりますが、6時頃から部屋での体操を終えシャワーを浴びた後、のろのろと身仕度をしていると我がファミリアの老夫妻(といっても私よりは若い)の朝の会話が聞こえてきます。それには笑い声が含まれていたり、よく何十年も一緒に生活していて不機嫌ではないまでも、ぼけっとしがちな毎朝、会話が続くものとやっかみ半分ながらその仲の良さに感心しています。また町中で足元も覚束ないインディヘナの老夫婦が手をつないで歩いているのは微笑ましい成熟し安定した男と女の関係を感じます。若い夫婦達の場合は夫が妻の肩を抱き顔を寄せ合って仲良く語らいながら歩いている後ろを、おまけみたいに小さい子供が母親のスカートを引っ張ってついていくそうした光景も日本ではあまりみかけられないものです。そのほか男女の殆どが腕を組むか手を繁ぐかし、如何にも男が女をいたわって歩くのが普通です。そうした男と女の様子を日本の妻や彼女が見た時、なんて私の夫は、私の彼は冷たいんでしょうと思うかも知れません。
 ところが外見と実際は違うのです。確かに男が女をいたわることは、男らしい身に付いた振舞いと言えるでしょう。彼女にするまでは、あるいは妻にするまでは男はそれはそれは優しく接しますし、そのための努力を怠りません。街頭の到る所で抱き合っている、キッスしているカップルがいますが、こちらもすっかり慣れてしまい狭い歩道を占領している二人に護って自分は車道ヘー寸下りてから又歩道へ戻って歩きます。心の中では"なんだよ!邪魔だな・人のいないとこでしろよ"と怒鳴っています。しかしここの男達は自分のものになってしまった女には以前の様に接しません。ですから妻の座なんて決して安素ではないのです。例えば子供ができなかったり、できても男の子に恵まれなかった場合等は、夫が外に女をつくろうが文句は言えないと聞きましたし、極端な場合離婚されることもあるそうです。丁度昔の日本の家庭の様な亭主関白が存在しているのです。うちのセニョールは奥さんにとても優しいのですが、それでも食事時の会話で私が話しだした時、奥さんが口を挟むと「お前は黙っていなさい」とばかりに手で制することがあります。日本でそんなことをしたら奥さんの頭に角が生えてしまいます。
 とはいうものの、こんな環境に住み、美しい背景(花に彩られた古都!の家並みと恵まれた天候)と大道具(二人で何時間でもゆっくり話しこめる、内庭に噴水があって花が咲き乱れて、しかもバカ安の喫茶店やレストラン)と揃えば二人の仲も急速に進むというものです。こうしてヨーロッパの人もアメリカ人もグアテマラ人も日本人も滞在している旅人もスペイン語学校で学んている人も、全てが入り乱れて恋の賛歌を合唱することになります。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓