Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.9)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 九 回 *****

再びセマナサンタを追って

27 de Abril 1998

 去年と同じ2月22日に成田を発ち途中メキシコで4泊5日の小旅行をし26日にアンティグアに戻って参りましたが早や二ヶ月が経ってしまいつくづく光陰矢の如しを実感致しております。大晦日の帰宅以来2月21日まで50日程の間、皆様と親しくお言葉をいただいた有益な時を除き、日頃満たされなかった思い、場悟にどっぶり浸かること、美味しいものと充分に飲み食いすることを果たすことに終始し怠信な日々を送ったため、少しばかり覚えたスペイン語を大分忘れてしまい勉学の厳しさを今更ながら思い知らされました。
 この度はJTB OBの長谷部功氏が同行をご希望されましたので、メキシコ旅行のご案内とアンティグアのホームステイとスペイン語学校のお世話をさせていただきました。そして4月19日に元気てお帰りになるのを見届けほっとしたところでございます。
 皆様にご心配おかけいたしましたが、病後の経過が良いとは言うものの一年間検診を受けなかったので気にはしておりました。医師の検診では異常無し、出かけてもよろしいとのことで神のご加護を感謝しつつここへ戻ってまいりました。来年の二月までもう少し頑張ってみたいと思います。幼児洗礼を受けたカトリック教徒とはいえ、生来の不真面目さからついぞ私の口から神という言葉が出たことをお聞きになったことはないと存します。カトリック教徒が八割以上のここでは日常の会話に何かにつけ神に感謝という言葉がつきます。「今回は良い天気だね、神に感謝」、「この食事は旨かったよ、神に感謝」、「遅くなったけど怒られなかったよ、神に感謝」 等々です。
 その神にちなんで、再度セマナサンタ(復活祭の聖週間)についてお話しいたします。第二回に詳しく書かしていただきましたが、二回体験する私はこの期間アンティグアっ子も見たことがない行事まで追いかけて見学しましたので、またご案内することにしました。なお、第二回に説明いたしましたことは除かせていただきます。


<<再びセマナサンタを追って>>

 去年到着した時、先ずその名を質問した美しい紫の花ハカランダが当然のことながら今年も又、咲き始めていました。アンティグアの主役の花は一年中咲いているプーガンピリアかも知れません。花の色は主に赤ですがピンクや白もあります。大きな木や建物にからまって蔦のように伸び、花弁(花托だと思います)は一枚づつはらはらと敏ります。ハカランダは大木にまで育ち美しい薄紫の花をつけますが、散る時は牡丹のように花一つがポトンポトンと落ちる少し淋しい感じの花です。この花はセマナサンタが始まる少し前から咲き初め終わると間も無く散ってしまうので、私はセマナサンタの花と呼びたい気がします。二年目の私は他の学生のためにセマナサンタの案内を書いて構内に貼り出しました。今年は学生が多かったせいか課外活動に花のアルフォンブラを皆で作ろうということになり前々日から準備を始めました。皆で集めたお金で若い人達に市場へ花を買いに行ってもらい、マルセロ先生と長谷部氏と私のおじん三人は前日の夕方と当日の朝早くハカランダの花を拾いました。何とロマンチックであることよ!
alfonbra(25KB)  4月10日の朝から作業を始めプロセシオン(行列)が通る10分前に完成しました。初めてにしては大きくて立派な美しいアルフォンブラが学校の前の石畳に出来上がり観光客や地元の人達の注目を集めました。中央上部にデザインした黄色の花で縁取られたハカランダのクルスは品が良く印象に残り満足しました。
 こうしたアルフォンブラはプロセシオンが通る道に、早い時間から家族が、会社の仲間が、町内の人達がそれぞれ分担して作り上げます。特に決まりは無いのですが私達が作ったような花のものと、色染めした木屑でデザインしたものと二種類あります。セマナサンタではこうして用意されたアルフォンブラとそこを通るプロセシオンを見ることに人々は夢中になります。アルフォンブラを見るには、早く行ってもまだ出来ていないし、遅く行けばプロセシオンに踏みつけられた後掃除の係の人達が片付けてしまっているし、なかなかタイミングが難しいのです。
 またもう一つの見所はベラシオンを見ることにあります。ベラシオンとは寝ずの番をすることを言い、キリストの通夜と言いましょうか、教会の御堂内に大きなアルフォンブラが信者の手によって用意されます。前述の道路につくられるものはデザイン画のようなものですが、ベラシオンのものは同じ木屑で絵画が描かれているものの、その内容は迫害を受けるキリストとその周りを舞う天使たちの絵であったり、見慣れた「最後の晩餐」の絵や、美しい花や鳥の入った風景画であったりします。それらの精緻な出来映えに感心させられます。また絵の周りには信者の持ち寄った果物や野菜や鳥寵が置かれ素朴な信仰心が伺われます。
 お参りは主に夜になりますが境内に入ると沢山の人達とそれを当て込んだ夜店や食べ物屋の屋台でごった返しています。ジェネレーターが騒音をたて裸電球が点る風情は、日本の神社の宵宮とまるで同じで、懐かしい思いで見渡しました。境内の混雑もさることながら、御堂内はベラシオンを見たい人達が押し合いへしあいなかなか前に進めません。懐中ものに注意しながら汗だくになって目的を果たし、写真をとってまた大変な思いて出口に戻ります。ベラシオンの拝観は殆どが地元の人だけで、観光客や外国人はあまり見かけませんでしたが、3月6日の近郊のサンタイネス教会からスタートし、ホコテナンゴ、サンタアナ、サンパルトロメ、サンフェリペデヘススと毎金曜の夜は次々に拝観に訪れました。夜10時を過ぎても小さい子供づれの家族の人達に出会うのには驚かされましたし、どこも一杯の人がいるのは意外に思いました。
 日曜日は朝から夜までプロセシオンを追いかけましたが、このところ近郷の小さな教会もアンダス(輿)を新調し60~80人で担ぐ大きなものを持っていて見ごたえがありました。4月からはセマナサンタもいよいよ佳境に入り、4月3日は朝3時に起きてマルセロ先生と長谷部氏とでサンフランシスコ教会に出かけました。男だけが参加できる"沈黙の行列"を見るためです。3時40分に着くと丁度行列が出発するところでした。150人程の男が蝋燭を持って道の両サイドに並び中央に15人くらいで担ぐアンダスがありました。私達も行列に加わり、間も無く指導者の合図で動き始めました。全員が言葉を発すること無くその名の通り沈黙したままです。所々の街角で行列は止まり全員が街路に膝まづき修道士の祈りに唱和します。短い祈りが終わると立ち上がりまた黙々と歩き始めるという無気味にして且つ荘厳な行列でした。
 この行列の総責任者がマルセロ先生の友人であったことから特別の計らいて、途中我々二人がアンダスの担ぎ手に加わることになりました。前回(第二回)お伝えしたようにアンダスは右に左にゆっくりと揺れながら進みます。動き始める前に前方で担いているリーダーの動きが全員に伝わった頃歩き始めるという真に合理的でわかりやすい動作でした。短い区間で交代するのですが我々の時はサービスでか150m位担がされました。一時間半ほど同行し、ファミリアに戻り、シャワーを浴び、朝食を済ませ登校しました。
 4月5日の日曜日はエスクエラデクリスト、サンフェリペデヘスス、メルセーと各教会のプロセシオンを追って過ごし、6日の夜はメルセー教会のベラシオン、7日の夜はサンフランシスコ教会のベラシオン、8日の夜はエスクエラデクリスト教会のベラシオンをそれぞれ拝観しました。9日、10日と連休、その後土日が続きましたが、ここが最大の山場で、町は観光客や近郊近在の人々で溢れかえりました。9日はいくつもの教会のプロセシオンを見てくたくたになりましたが、午後3時からサンフランシスコ教会で洗足式を見学する予定が途中でお葬式が入ったため一時間半もかかってしまいました。帰りがけ前述のハカランダの花を拾って家に戻りました。
 10日は3時に起きてマルセロ先生と一括にメルセー教会に出かけました。長谷部氏は流石に疲れて起きられなかったようです。その日はローマ兵に扮した人達によるエルプレゴン(宣言)を見るためです。しかし少しの差で出かけてしまい見られませんでしたので帰りを待つことにしました。3時半頃でしたが教会前は小さい子供を連れた人も含め沢山の人々で賑わっていました。沢山出ていた屋台の一つで不味いコーヒーを飲みながら時間を潰しました。4時半に出かけていたローマ兵達が帰ってきました。金色の鎧を着たローマ兵は先頭に六騎ほどがいて槍を持った兵士が後に続いていました。全体が立ち止まると先頭の隊長役らしき一人が馬上で巻紙を広げ読み始めました。内容については理解出来ませんでしたが、恐らくキリストの処刑についての宣言であったと思いました。その後またしばらく侍って6時にプロセシオンが教会を出るところを見物しました。家に帰りがけに長谷部氏と合流し、落ちたばかりのハカランダを三人で拾い集めました。朝食の後一息入れて、学校の前で9時から午後1時まで皆でアルフォンブラ作りに精を出しました。プロセシオンを見送ってからエスクエラデクリスト教会に行き3時からの"息絶えたキリストを十字架から下ろす儀式"を拝霞し、その後黒い喪服の人達のプロセシオンを見て家に帰りました。翌日は長谷部氏と他の人達とホンジュラス共和国のコパン遺跡とグアテマラのキリグア道跡・リオドゥルセを巡る2泊3日のハードな旅が朝6時から始まりました。それにしてもやっと私の長かったセマナサンタは終わりました。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓