Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.6)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 六 回 *****

閑中閑題、泉にて、etc...

22 de Julio 1997

<<閑中閑題>>

 先日わが敬愛するマルセロ先生と季節の話題になって、春夏秋冬はそれぞれにどの月に属するかという私の質問に彼が即答できず、調べてから明日返事をするということでした(何にでもすぐ回答する彼としては初めてのことでした)。それではこの7月は夏ですかという問いには、いや今は冬だという答え。2月の末にこの国に来てこの5ヵ月間はっきりした季節感のないまま過ぎてしまいました。従っていつも同じ服装(半袖のスポーツシャツ)でいました。以前何度かお伝えしましたが、毎日が21度から23度で本当に過ごしやすい日々の連続です。あえて言うならば雨が少しづつでも何日か降った後は、朝晩少し気温が下がり(といっても21度は割らない)、そんな時に少し風がふけば肌寒く感じました。そんな具合ですからこちらの人は季節感とか季節の移り変わりに対する感慨とかを持っていないみたいですね。そりゃそうでしょう。私が来てから美しいブーゲンビリアの花はずーっと咲いています。5月の中旬から雨季に入ったとかで、少しづつですが毎日のように降るようになりました。しかしここにきてあまり降りません。私のファミリアのドン・ラミロ氏は今はカニラクに入ったからで、7月中旬から又降りだすんだとのことでした。辞書で見ると(夏の)土用期間とあります。このところ日中じりじりと太陽が照って外は25度位あるのではと思いました。彼もまたこの季節は冬だと答えるのでした。全く何が何だかわからなくなりました。北半球と南半球で季節が逆であることは皆よく知っているが、ここはその範疇にも入らない。12月、1月は朝晩大分寒く、時には15~6度という話を聞き、じゃあその時期はと聞くと夏であるとの答え。日中の気温は余り変わらず快晴の連続(乾季)であるが夜は気温が下がるとのことで、こちらでは基本的に雨季のときは冬、乾季の時は夏と認識しているようで、気温と四季とは余り関係ない様子。季節が明確に感じられる日本に住み、折に触れそのことを詩歌に詠じてきた日本人にはこの季節感覚は本当に理解できない。だからここは常夏の国と言えるのだろう。


<<泉にて>>

 泉のことをスペイン語ではFuenteと言います。辞書には泉、噴水、水道、水汲み場、みなもと等とでています。泉という言葉は何となくロマンチックなことを連想させます。泉は水を求めて人々が集う出会いの場所だからです。今は水を求めて人々が集まるのではなく、そこに公園があり広場があり教会があるからです。古来、早くから水道を引いたローマの歴史もありますが、穴を掘ればすぐ水が出てくる日本のような所は別として大陸では大体は町中の便利な場所に泉や噴水池を作ったりして、人々は生活のために水を使ってきました。その水を汲んで家に持ち帰ったり、そこで水を飲んだり、そのそばで体を洗ったり、洗濯をしたりしてきたのです。そこで今回はアンティグア市内の泉、噴水、洗い場についてご案内をしてみたいと思います。まず第一にご紹介したいのはメルセー〔La Merced〕教会の内庭にあるフエンテです。教会の建物自体豪華なバロック様式であり、建物正面の18世紀チュリゲーラ装飾には思わず目を奪われますが、ここのフエンテは中南米最大と言われ、この教会にふさわしい壮大なものです。ただここは人々が賑やかに集まった場所とは違う異質な所のようです。大噴水を取り巻く回廊には祈りを唱えながら或いは、瞑想に耽りながら逍遥する僧院の神学生達を回想させるそうした場所のようです。
 それに対して中央公園にある噴水池は違います。池の中心には両手で乳房を抱えた裸婦像が四方に置かれ、その乳首からは水が流れ落ちるようになっています。その噴水は“La fertilidad (豊かなもの)”と名付けられています。女性の乳房から豊かさを連想したのは私だけではなく万人であったようです。ローマの泉とは一寸違いますが、以前は若い女性たちが子宝に恵まれ、乳の出がよくなるようにと願いを込めて池にコインを投げ入れたようです。しかし今では酔っ払いや子供たちがすぐに拾ってしまうので、そうしたことも無くなったようです。このほかにも公園の4隅にそれぞれ一つづつ小さな噴水があります。ここは旅行者にとってもアンティグアの人々にとっても憩いの場所でもあります。
 豊かさの証というのでしょうか、一寸した家の内庭にはフエンテを模した噴水が見受けられますし、レストラン、カフェテリア、ホテルには殆ど例外無しにそうしたものを置きこの地の風情をだしているようです。町のプラザ(広場)のいくつかには噴水池がありますし、これから列記する教会の庭か、そばにはフエンテがあります。エスクエラ・デ・クリスト、サンタ・ロサ、カンデラリア、サン・セバスチャン、サン・フランシスコ、サンタ・ルシア等がそうです。5ヵ月も狭い町を野良犬のようにうろついていると詳しくなります。
 このほかにもう一つご案内しておきたいところがあります。アンティグア名物の洗い場です。やはり町の中心に近い所にラ・ウニオン公園があります。一抱えもある棕櫚椰子の大木が四列に並び、その間に散歩道がある小公園ですがそこのベンチに腰掛けて、椰子の梢の向こうに広がる青空と流れていく薄雲を見ていると思わず時の経つのを忘れてしまうそうした場所なのです。その公園の道路に面した側に、民族衣装を着たインディヘナの女性達が美しい民族衣装や伝統織物を広げて観光客に売っています。アンティグアからバスで30分程のサン・アントニオ・アグアス・カリエンテス村〔San Antonio Aguas Carientes〕をはじめ、近隣の村々から商売の品を抱えてやってきます。
 本題に入るのはここからです。彼女達の売り場に隣り合わせてタンケ・デ・ウニオン〔Tanque de union〕と呼ばれる洗い場があります。市街地に洗い場とは珍しいのですが、22人が同時に洗濯できる場所なのです。アンティグアの町は1920年頃から順次水道が引かれ今ではどの家にも水道が普及しています。しかし郡部の一部には水道は勿論、水も余りない所もあるようです。アンティグアからバスで20分ほどの村、サンタ・マリア・デ・ヘススからも洗濯に来ています。彼女たちの村にも洗い場はありますが、アンティグアよりも標高が高く、水量が少なかったり、水圧が弱かったりといった事情からか、あるいは昼は観光客が集まるアンティグアに品物を売りに来るためか、商売の合間にできるからという理由からか、町まで洗濯物を持ってきているようです。まさに「川へ洗濯へ」ならぬ「町へ洗濯へ」と言ったところです。民族衣装を身に着けたインディヘナの女性達が並んで洗濯している様子は中々壮観です。
 しかしつい最近この大水槽の栓を恐らくは酔っ払いが抜いてしまったのです。大水槽であるが故すぐには水を貯めることができず、一部修繕を施したためか数日間洗濯場が使えなくなってしまいました。私も心を痛めておりましたが、一昨日修復も済み、水が入りはじめました。心待ちをして行ってみたところ早速一人の女性が洗濯をしていましたが、民族衣装は身に着けていませんでした。町の人かもしれません。しかし今日になって7~8人の民族衣装の女性達が洗濯をしていました。サンタ・マリア・デ・ヘススの人達です。明日からは復旧の話を聞きつけた人達が大勢洗濯に来て、又アンティグアの風物詩に色をそえることになりましょう。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓