Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.5)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 五 回 *****

人々・男と女、私達の推薦するアンティグア、etc...

1 de Julio 1997

 6月30日で在住128日になります。あっという感じと、やっとという感じが相半ばしておりますが、何はともかく無事に、そしてグアテマラテコ(グアテマラ人)になりきった気持ちで生活しております。日本では鬱陶しいシーズンかと存じますがこちらも雨季に入ってから毎日のように雨に見舞われております。朝から雲一つ無い快晴で今日こそは晴れの一日かなぁと思ってもそこは律儀に、一転俄かにかき曇り大粒の雨が降りだします。しかし又朝から降っていても1、2時間もすれば明るい太陽が顔を出します。こうした天候ですから長い雨季でもこちらの方がしのぎ良いと言えます。人々は大体が傘を持たずに出かけ、降られれば軒下で一寸我慢するというという方式のようです。しかし植物の成育には至極都合が良いのでしょうか、メルカド(市場)には野菜、果物、花などが溢れるように並べられ、町並には盛りは過ぎたもののブーガンビリア〔ブーゲンビリアのこと〕が依然としてその美しい姿を見せております。やはり自然が豊かというか私のファミリアの庭に蜂鳥(体長5cm位、ヘリコプターのように空中に静止し長い嘴で花の蜜を吸う)が花の蜜を吸いに来たりします。お世話になっているこのファミリアのご夫婦は親切ですし、すべての条件が満たされていますので、お陰様でこの美しい古都で幸せに暮らしております。家では他にホームステイしている学生は無く、私一人だけの生活となり、今まで家にいた時余り感じなかった周囲を見渡すような時間ができたのでしょう。ほかの人達のことが何かと気づくようになりました。人口の98%以上を占めるラティーノ(混血)と原住民のインディヘナの人達、そして小さな日本人社会のことについて今回は触れてみたいと思います。


<<人々と男・女>>

 ごく少数の金持ちの白人をここの人達は俗にアメリカーノとよく言いますが植民地時代から先祖の恩恵を受け継いでいるスペイン系の人、長い間続いている大規模経営のコーヒー園・バナナ園等のオーナーや株主であるアメリカ人・ドイツ人はここアンティグアの一等地に一辺が100m以上も1ブロックが占める白い壁に囲まれた大邸宅で莫大な資産を抱えて豊かに生活しています〔このほかにアラビア人、ユダヤ人などが富裕層にいます。また台湾系中国人も商売で成功をしています〕。彼等がグアテマラの人口に占める割合は10%にも満たない少数で、高い壁を隔てた向こうの生活は一寸想像が出来ません。そしてホテルは勿論のこと、目抜きの気の利いたレストランやお店は彼等の経営によるものか、貸地・貸家のようです。
 一方ここでの人口の大部分を占め、私達旅行者が絶えず接触しているラティーノ、インディヘナについてお話しいたします。外観から申し上げれば、ラティーノの人達は一般的に私達日本人より少し背が低いのですが、胸・腰が厚くがっしりとしています。混血の度合いか遺伝の関係か白人のように色白の人もいますが全体に肌の色は私達より浅黒く髪は黒が多いようです。顔つきは目鼻立ちがはっきりしていて所謂美男美女の混血タイプと言えます。服装・生活様式もヨーロピアン・スタイルがごく普通です。
Mercado.jpg (22KB)  インディヘナも体格は少し小さめです。沢山の部族で構成されているからでしょうか、顔つきは様々ですがモンゴリアン系が多いように見受けられます。毛髪は癖の無い黒、肌の色は浅黒いかコーヒーブラウンに近い人が大部分です。服装は都市部では男は洋服、といってもシャツにズボン、女は色鮮やかな手織りの伝統的な貫頭衣〔Huipil:ウィピル〕の上着と同じく手織りの巻きスカートにサンダル姿が主で、一部は洋服にサンダル履きのようです。田舎にいくと男女とも手織りの伝統衣装の人を見かけることがぐんと多くなります。ちょうど大正か昭和初期の日本人の服装を思わせます。女性の髪型はおさげの三つ編みが目立ちます。手織りの布は地域、部族によりデザイン、色合いがそれぞれ異なります。それは実生活の服装としてはもちろんですが、豪華なものは民芸品店の店頭を飾り高価な土産物として供給されています。いつか機械をみて伝統工芸品の項として取り上げたいと思います。
 平和になった今日、グアテマラ政府は教育に力を注いでおり、それと共に都市部での識字率は数年前まで30%だったものが55%まで向上しておりますが、さらなる識字率の向上には今後特に郡部僻地に教育が行き渡るのを待たねばならないと思います。
 経済力、生活レベルにおいて、ラティーノとインディヘナの間には大きな隔たりがあり、インディヘナの間でも都市・近郊に住むものと郡部・僻地に住むものとでは違いがあるようです。経済力の全体的なレベルアップ及び標準化は治安の向上、アルコール問題と共にこの国に残された大きな課題としてとりあげられています。グアテマラには美しい自然と人々の温かい心があるものの、職場がないのか福祉が欠けているのか、貧困のため物乞いをする人を多く見かけますし、昼間から公園でぶらつく人が大勢いるようです。真っ昼間首都グタテマラ・シティのバス停で強盗に襲われたり、バスで荷物の置引きにあった話を聞くと残念でなりません。
 それでは少し色気のある男と女の話に話題を変えてみたいと思います。ここは情熱的なラテンの国、昼日中、10代から50代位まで街頭で公園で抱き合いキッスし、いや盛んなこと、こちとら70歳に手が届くとは言うものの現役を豪語している身ですから頭にくるというものです。まして私の現在の同窓生でもあるスペイン語学校の諸君に影響がないわけはない。殆どが20代・30代の男女です。
 ではいくつかの事例を紹介していきましょう。以前私がいたファミリアにいたデンマークから来た20代後半のセニョーリータでしたが、彼女の場合、午後4時間ラティーノのスペイン語の先生を学校を通さず個人で雇っていました。そして昔「個人教授」とかいう映画もありましたが、昼日中から盛大なようでした。彼女はそのファミリアを10日位で出て行きましたが、こういったことはどちらかと言うと男子学生のほうが要領が良いというかあまり目立たぬようです。彼等の中にはアンティグアに来て1、2週間スペイン語を勉強してからさらに南米をめざして南下する者もいれば、グアテマラ国内もしくは近隣の国に留まり、ハンモックにゆられながらハッパを楽しむ輩もいるようです。
 日本人の場合も似たり寄ったりです。中にはここでの生活が気に入りこちらの女性と家庭を持って住みつく者もいますが、ラティーノと一緒にいるうちにお腹が大きくなり、その彼を連れて日本に帰国した彼女は一体どうしているのだろうと多少心配してみたりもします。
 こうしたラテンの国での男と女の問題は、わたしには環境も違い、歳も違いさっぱり楽しくも悲しくもないままうち過ぎていきますが、いずれ“ANTIGUA REPORTAJE No.20”を書く頃〔実際にはこのレポートは12回までで終わります〕には「人間模様・男と女」のタイトルで自分自身を発表したいと思っております。


<<私達の推薦するアンティグア>>

 征服者ペドロ・アルバラードによって1527年シウダード・ヴィエハ〔Ciudad Vieja:〕その名のとおり古い都〕に建設されたスペイン征服時代の第二の首都が大地震で崩壊したために、1543年アンティグアは第三の首都として建設され一時は繁栄を誇ったが、1773年の大地震でやはり大被害を受け首都は現在のグアテマラ・シティに移されました。1917年、1978年にも地震があり被害を受け多くの建物が廃墟として残る一方、改修中のものやすでに奇麗に改修された建物が渾然一体となって現在のアンティグア市を形成しております。
 普通地図は北をうえにして描かれますが、ここでは東が上になった地図を見かけます。まず市の東端の通りを南北に1a Avenida〔英語のAvenueにあたる〕が走り、これに平行するように西に行くにしたがって2a Avenida、3a Avenida、4a Avenidaとなります。市の中央に位置する中央公園は4a Avenidaと5a Avenidaの通りに挟まれています。市の中心部の西端でバスターミナルや市場が面した通りは8a Avenidaになります。
 一方北端の通りが1a Calle〔英語のStreetにあたる〕で市の中心部はここから南の7a Calleの間を指します。アンティグアの中心部はこのAvenidaとCalleによって碁盤の目のように区画され見所もこの中に包含されています。折角グアテマラまで来ていながら、ユネスコ世界遺産に指定されているアンティグアを見ずに去っていかれる方もいますが、機会を逃さず是非訪ねていただきたいと存じます。
 最後に地元出身でわが敬愛するマルセロ先生〔渓さんのスペイン語の先生〕と相談し見所を10ヶ所挙げてみました。参考にしていただければ幸いです。

プラサ・セントラル 中央公園(Parque Central)とも呼ばれます。中央に噴水があり市民、旅行者の憩いの場所、待ち合わせの場所になっています。この広場に面して東側にカテドラル、南側に植民地博物館、北向いには武具博物館があります。又この周辺は市庁舎、警察署、電話局、銀行、ホテル、レストラン等が集まる市の中心部です。
サンタ・クララ元修道)院
 (Santa Clara)
廃墟であるが中庭が美しい。
サン・フランシスコ
教会及び僧院
 (San Francisco)
豪華な建物に圧倒される。エルマノ・ペドロの墓がある。
ホテル・カサ・サント・ドミンゴ
 (Hotel Casa Santo Domingo)
アンティグア一番の高級ホテル。広大な敷地と重厚さが特徴。元サントドミンゴ教会及び僧院を改装してある。
カプチナス元修道院
 (Capuchinas)
現在は地震による崩壊で廃墟になっている。私が思わず作詞したくなったほどの素晴らしい場所(第二回レポート)。
サンタ・テレサ元修道院
現在は拝観できない。男子刑務所として使用されている。
メルセ教会及び僧院
 (La Merced)
壮麗なバロック様式建築。私は毎日曜日ここのミサに出席しています。メルセダリオ神学校併設。
サン・ヘロニモ
元教会及び僧院
廃墟ながら昔をしのばせん素敵な庭園あり。
メルカド(市場) 生鮮食料品、衣料雑貨、日用品、電気製品まですべてが賄える市場。月・木・土は市が立ち特に賑わう。
カサ・ポペノエ
 (Casa Popenoe)
17世紀に入植したスペイン人の住居。当時の家具調度品も点じしてある。拝観は24:00~16:00(日曜休み)

 いかがでしょうか。感想などございましたらお便り下さい。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓