Señor Kei "ANTIGUA REPORT"  (No.2)
( 渓さんの「アンティグア・レポート」)



注: 文中の斜体字は今回の掲載にあたって注釈などを追加したものです。

***** 第 ニ 回 *****

セマナ・サンタについて

30 Mar 1997

 皆様お変わりありませんか?一ヶ月が過ぎたところですが、こちらでの食事にも生活にも馴れ元気に過ごしております。勉強の方はさっぱりですが、パートナーの先生(62歳の男性、元小学校の校長先生)とは特別親しくしておりますのでいずれ何とかなると思っております。
 さて今回は“セマナ・サンタ〔Semana Santa:聖週間〕”についてご報告したいと思います。

 キリスト教との最も重要とする祝日は降誕祭(クリスマス)と復活祭です。クリスマスは仏教国の日本でも祝日化し家庭にも浸透してきましたが、復活祭ともなると日本人には馴染みの薄い日です。しかしキリスト教との多い欧米では復活祭は国の祝日とされ、連休の中で人々は教会を中心に盛大にお祝いをします。グアテマラはプロテスタントとインディヘナ(原住民)達の土俗信仰もありますが、大多数の人がカトリック教徒ですので一年と通して、このセマナ・サンタが一番大きな祝日と言えます。復活祭はその前の四旬節(40日間)から始まり、人々は復活祭を迎えるにあたり心の準備をすることからスタートします。私はアンティグアのこのセマナ・サンタに大きな期待を持って参りました。2月23日にグアテマラ国際空港に着いてアンティグアに車で向かう途中、お祭りの行列に巻き込まれ大分時間がかかってしまいましたが四旬節はその週から始まっていたのです。この前お知らせしたと思いますが、古都アンティグアは地震で完全に崩れてしまった教会、一部が倒壊したものや、一応改修され昔の姿に近い壮麗な教会等、沢山の教会があり、もちろんセマナ・サンタの行事の中心となっております。リオのカーニバルのように日本では知られておりませんが、アンティグアはこの時期世界中から多くの観光客が集まり人口が膨れ上がります。従ってホテルの料金も大幅に値上がりしますし、諸物価も高騰気味のようです。復活祭の期間中多くの行事がありますが人々の歓心が集まるのは、プロセシオン(Procesion:行列)とアルファンブラ(Alfombra:絨毯)です。今回は重荷この二つについてお話したいと思います。

 私がアンティグアに着いた二月から、赤やピンクのブーゲンビリアと共に色鮮やかな紫色のハカランダの花が町中を彩ります。この紫色が“セマナ・サンタの色”とも言って良く、ハカランダと同じ紫色の布が家々の戸口や柱に飾られ、又、これからお話するプロセシオンの一行の衣装の色にもなります。何故紫かというと、昔エルサレムは地区毎に着物が色分けされ、ベレンが緑色、ガリレアが紺色と決められたようにキリストと最も関係深かったナザレの地区が紫色であったという言い伝えからこの色が使われるようになったと言うことです。衣装の形もアンティグアの気候がエルサレムに似通っていたということで、今のアラブの民族的な服装の長衣と長い帯、頭巾又は紐を頭の周囲に回して布を押さえたあの見慣れた形の(紫色の)服を着て行列に加わります。

 主な行事、行列は今年〔1997年〕は3/23(日)から始まり、聖月曜日、聖火曜日、聖水曜日と人々の信仰と興奮は高まり、聖木曜日・聖金曜日と最高潮に達し栄光の土曜日で終了となります。その行事の細目については申し述べる紙面がありませんので、ご希望があれば又お伝えしたいと思います。
** アタバル・フォト・ギャラリーのセマナ・サンタを参照して下さい


アルフォンブラとプロセシオン(34KB) さてそのプロセシオンですが、御神輿や山車が神社に所属するようにアンダス(Andas:輿)がそれぞれの教会から出発するところから始まります。プロセシオンは例の紫色の長衣を着た人達が道路の両端に沿って先頭から最後まで長い列をつくり、その外側両端をアンダスを警護する形で金色の鎧・兜を着用しローマ軍に模した人達が行進し、沢山の香がたかれ50m先が定かに見えぬ中を静かに進みます。アンダスの上には十字架を背負ったキリストの像、使徒達の像が飾られ、それらを屈強な男達が担ぎながら進みます。男達は右に左に揺すりながら歩きますが、その動きが像に伝わり小刻みに震え迫真の感さえあります。アンダスの大きさは教会や所属信者の数によって変わりますが、大きいものは巾2.5m、長さ約18m程の一寸した漁船の様な大きさで担ぎ手は80人にもなります。何故80人か解かるかと言うと台の下の肩を入れる所は半月形に抉られその上に番号が付いてあるからです。大きいもので80人ですが、60人、40人、30人のもあり、婦人達が担ぐマリア像が載ったものは大きいもので40人、子供用の20人のもあります。しかしいずれも、上に載った像は兎に角、輿自体が頑丈な木で作られていて大変重量のあるものだと思います。日本の御神輿の担ぎ手は嬉しさや喜びを表現し、時には苦痛の表情も浮かべますが、このプロセシオンの人達は膝を曲げ腰を屈めながらも、強い日差しの下ゆっさゆっさと左右に揺れながら大人数が足並みを揃え、無表情のまま、ただただキリストの栄光に浴している姿そのものといった感じです。その後をこの地ではめったにみられぬ、背広・ネクタイ姿のおじさんやお兄さん達〔アンティグアは観光地のためスーツを着たビジネスマンはほとんど見られません〕の楽隊が20人程悲壮な曲を奏でながら続き、その後をマリア像の婦人のアンダスが続き又その後に楽隊が続き、又その後を子供のアンダスや聖人の一つの像を乗せた4人担ぎ手の輿がいくつも続くといった具合に長い長い行列は1,000m近くにも達し、清めの香の中やっと終わりが通過することになります。この大変な行列には20ケツァル、日本円で400円を奉納し初めて参加の資格を得られるとのこと。こちらの所得感覚からすれば1,500円位でしょうか。首都グアテマラシティをはじめ他の都市でもっと大きい100人以上のアンダスもあるそうですが、アンティグアでは道幅の関係上この位に制限されているようです。しかし古都のセマナ・サンタを飾る迫力ある、厭きさせない主役の動きを見るため市民、観光客が始終追い求め待ち構え、セマナ・サンタの時間が経過します。聖金曜日の夕方からアンダスの上はキリストの柩に変わり、カートに乗ったジェネレーターをお供に従え、夜遅くまで電飾に輝いて人々の目を奪いますが行列の人達の衣裳は何時の間にかキリストの死を悼む黒の長衣に変わっています。

 長々とプロセシオンについてお話しましたが、さてもう一つの主役“アルフォンブラ”のことについてお伝えします。アルフォンブラとは絨毯のことですが、キリストの通る道にじゅうたんを敷いてお迎えします。ただ出来ているものを敷くのではなく、付くってプロセシオンを迎えるというところに特別な意味が有ると思います。アルフォンブラは教会の御堂内、境内、道路に用意されます。教会の内部のものはプロセシオンが出る日まで一日二日そのまま置かれることがありますが、道路に用意されるものはその日に作られます。プロセシオンが朝通るのであれば前の夜から徹夜で作られますし、午後通過する場合は朝早くから作り始められます。

アタバル学生が作成(52KB) このアルフォンブラには二種類あります。一つは床や道路に一定の巾で細かい木屑を敷き詰め、その上にいろとりどりの粉や彩色された木屑を型紙を使って作られます。すばらしい彩りとデザインがなされ、それは丁度ふぁっとした絨毯のようであることからアルフォンブラと名付けられた。もう一つのものは花や花びらを使って作られます。まず最初に沖縄の“もくまおう”に似た松科のピノの葉がやはり一定の巾で敷かれ、その上に赤のブーゲンビリア、葉のハカランダ、黄色のチリカ、クリサンテモ、その他多くの花や花びらが型の板を使ってデザインされます。自分の家の前に家族で小さなアルフォンブラを作ったり、30~50mもある長大で華麗なものを町内総出といった感じで作ったりします。それでプロセシオンをお迎えしますが、長い行列が通った後は無残にも踏みつけられ目茶目茶になってしまいます。その後は市の係の人でしょうか、すぐに来て清掃し元の石畳になります。輪つぃのファミリアのあるところは市の北東の端になりますが、先々週の3/16(日)にプロセシオンが通りました。前日に町内の人達がでてアルフォンブラを作りました。しないの殆どの通りは何回も通りますので何回もアルフォンブラは用意されます。プロセシオンにしろアルフォンブラにしろ人々の信仰心の深さについて思いしらされましたが、急用なのでしょうか教会の前を自転車が走り抜ける青年が胸の前で小さく十字を切る姿にもうなづかされました。セマナ・サンタが終わって観光客も去り元の平静な古都に戻ったところで私も勉強に精を出さねばならないと思います。しかし長い間携わった仕事の業といいましょうか、このグアテマラのティカル遺跡といい、この時期のアンティグアといい、近くの中南米1、2ヶ所を加えて魅力的なコースが出来るんだがなぁとつい思ってしまいます。仕事から離れておりますので直接お役にはたてませんが、お世話になった皆様に恩返しができればと何時も思っておりますので何か思いついた方は遠慮なくご相談下さい。セマナ・サンタで思いがけず紙面が埋まってしまいましたので、この前予定した項目は次回にさせていただきます。

 ここへ来て一月をすぎましたが、まだ一度も雨に降られておりません。強い日差し、青い空、白い雲、22~23度の同じ気温、爽やかな感じで〔昼間は〕半袖でも長袖でもどちらも抵抗無し、本当に過ごし易い常春の気候で申し分ありません。ホテル住まいの一週間の間にアンティグア市内は隅々まで歩いて回りましたが、自然に触れて思わず感激することもあり思わず柄にも無く作詞したことがありましたので、当地のことを知っていただきたく、つたないものでありますがご披露いたします。


~ カプチナス教会の廃墟にて ~

ボルカン デ アグアの峯は 揺るぎなく たたずみ

青空に ただよう雲さえも 動かず

ボーガンビリアの花花も ハカランダの梢も 鳴りをひそめ

私を含め万物 静まりかえる ひとときあり


(ボルカン デ アグア)
 地震の元凶であるが、富士山に似た秀麗な山容はアンティグアの象徴でもある。

(ボーガンビリア)
 こちらではこう言うが所謂ブーゲンビリアのこと。町中いたるところにその美しい姿を見ることが出来る。

(ハカランダ)
 明るい、紫色の花をつける大木。ボーガンビリアと共に市内いたるところで美しさを競っている。

(カプチナス教会)
 市内カプチナス通りに面している。煉瓦が露出した壁の一部が残っているだけであるが、庭園はよく手入れされ強い日差しの下、緑の芝生と花々が大変美しい。あまり人が訪れないだけにゆっくりしたい場所。

発信人 アンティグアの寅さんこと 小泉 渓