“きょうも思い出し笑い、アンティグア”



なんでまたアンティグア

 グアテマラだって、そんなとこどこにあるの。よく帰ってこれたこと。呆れ返っているようで、なにかバカじゃないのと言われているようだ。昨年、ちょっと書いたばかりに、あまりに無鉄砲なジジイと思われてしまったようです。
 なるほど、着いた途端に大事件です。新聞の一面には大きい痣?が鮮やかな大物らしい顔がでている。何のことか分らないが単純な事件ではなさそうな雰囲気です。やっぱり、アブないところだったんだろうか。
 言葉も通じない外国のジジイをつかまえて国の不満をブチまける。スペイン語とアメリカ語をごっちゃにして猛烈に喋りまくる。身振り手振りもハデにまくしたてる先生「アメリカドルは高くなる、生活費は上がりっぱなし、それなのに給料はそのマンまよ。大統領は許せない」といってるようです。熱心に耳を傾ける、イヤ、目を注ぐジジイを見てか、オバさんの気持ちも収まったようです。不思議です。言葉が分らないのに、こんな具合に分った気分になる不思議。一体どうなってるんだろう。こんどはオレも試してみよう。得意なセンダイ語でやれば、コリャ相当いけそうだ。
 そんな間もアンティグアの街は平和そのもの、なにごともなく、いつもの賑わいに変わりありません。つい最近まで、内戦状態が続いていたと言いながら「政情不安定だが治安良好」という旅行情報誌に嘘はなさそうです。

いきなりシマリ屋に

 街へ出るとなにを見ても珍しいものばかり。グアテマラ・レインボウと呼ばれるカラフルな織物、民族衣装、帽子、バッグなど。街の絵描きさん作品は欲しかった。でも、4号の水彩、40US$だというのに手がでない。作品の魅力もいまいちかも知れない。これに比べたらグンと高いモンゴルの画家たちの小品など何のためらいもなく手に入れてきたのに。……何かおかしい。
 Tシャツ一枚でも60Q(ケツァル)=\900を50Qに値切っている。アンティグアに来た途端、こちらの生活感覚になれてしまったようだ。ホームステイとはいえ、一日の生活費が一部屋に三食付きで10US$。ケーキをつけてのコーヒー代1US$が生活の生活の基準。納得いくまでの値切り交渉の常識も、アっという間に身に付いたようです。
 夕方立ち寄った教会広場。インデヘナのおばさん、きれいな民族衣装を「150Qを100Qでいいヨ」「金ないから帰る」「70Qでいいから持って行ってヨ」とねばる。持って行ったらどうするつもりだったんだろう。あした来るからど固辞。翌日くだんの場所へ。顔を見せた途端、おばさんと娘がこぼれるような笑顔で迎えてくれました。20Qの小物を加えて90Qの代金に100Q札を渡し「釣りは要らないよ」わすれてましたねェ、こんな言葉。約束をまもって何かいい気分です。

ホームステイの仲間たち

 アメリカ夫婦二組をはじめ皆がスペイン語学校で勉強している。学校はそれぞれ違うようだがいずれも教材もしっかりしているようで、夕食後は思い思いに宿題をやっている。何もなくて手持ち無沙汰は日本のジジイだけ。
 ノルウェー娘ノーバが言う。スペイン語を習っているこの人達、理解が深いのはアメリカ娘デビー、会話なら私ノーバ、最低なのが体の大きい太ったアメリカ爺さんであるそうな。ノーバの話には歯に衣を着せるようなことはない。リタイア後の勉強はなかなか難しそうです。
 アメリカ爺さん、顔を会わせると決まって「テツロ、分るだろ?この揺れが」と大きな体でじっと両足に神経を集中し、水平にした手のひらを大地の動きにあわせるようにゆーらゆーらと揺るがせる。冗談の種はこればかり。このジョーク皆から受けていましたねェ。噴煙をあげる火山を眺めながら暮らしていると地震の恐怖が頭から離れないのでしょう。
 下宿屋の家主エドワルドは斜め向かいに小さなレストランを開いている。ここが俺のレストランと自慢のようだが、ほかの仕事の合間にやるらしくレストランが開いているのはたまにだけ。ここも下宿人たちのひまつぶしの場所じゃないのかなァ。

ゲストハウスの暮らし

 下宿屋クリマコ家の夕食は午後の六時、食卓を囲んで話がはずむ。中心はアメリカ夫婦二組とイギリス親父、デビーは静かに微笑み、いつも元気なノーバはここでは言葉少ない。英語圏六人とその他二人の構図。日本のジジイはノーバとわずかなコミュニケーション。夕食後は食卓や自室でくつろいだり、宿題、外出したりとそれぞれがここでの生活を楽しんでいる。
 ところで、ここの住人は客人八人に家族四人。トイレは二箇所あるが、シャワーは一箇所だけ。客人たち、シャワーのとり方に苦労していると思うけど、意外に目立たない。いつもジジイと鉢合わせするのはアメリカ爺さん夫婦に決まっている。ほかの人たち滅多に使っていないんだろうか?エドワルドは昼に仕事帰りの汗を流している。
 水道水はきれいに見えるけれども台所、シャワー、トイレと洗濯用だけに使っているようだ。飲料水は二十リットルほどの大きなボトルが食卓のそばに置いてある。水質が悪いからだろうか?使用量の少ない、わずかばかりの飲料水はボトルとは合理的に見えるよねェ。日本では飲料水にもしている水道の水でトイレを流していると言ったら、ここではビックリされるかもしれない。

アイ ラブ アンティグア

 スペイン語学校ATABALの休憩時間、リディア先生の案内で街の散策へ。街全体が中世の街の姿そのままのようだ。ここに住む人達も中世同様に敬虔なカトリック信者として生きていることだろう。
 街を歩いていて、すれ違いに目が合うと「ブエノスディアス(こんにちは)」と声を掛けてくる。ここの人達には外国人を特別に区別する意識がないようです。ここに住む人達は日本人の暮しから消えかけている大事なものを残しているようです。
 リディアは「日本人は歩くのが早すぎる。ここはアンティグアだからユックリユックリ歩くのよ」なるほど、この街を歩くときは石畳の感触を足で確かめながら進むのがよいでしょう。歩いているのか、止まっているのか会話が楽しそうな人の群れがゆるやかに流れていきます。
 のんびり、ゆったり暮らせる街。言葉なんか気にしない。スペイン語でかまわず話しかけてくれる人々、よそ者をやさしく受け入れてくれる街。なにがいいって、何といっても暮らしやすさがいい。ここにいると、気持ちもおおらかになってくる。もうすぐ一年になろうとしているのに、思い出すたび笑いが込み上げてくる。すっかり好きになりました。たった一週間のことだけで早とちりかもしれないが、いいとこ見つけたつもり。やみつきになりそうです。


[ 2000年3月 東北建設協会会報に投稿 ]

佐々木 哲郎


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